大判例

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大阪高等裁判所 昭和32年(う)909号 判決

論旨は、原判決は「被告人はいわゆる酒癖が悪く、清酒三合以上を飲用するときは病的酩酊に陥りその心神喪失下において、他人に暴行を加え、その生命、身体、財産等に危害を及ぼす危険ある素質を有し、みずからもその素質を自覚して再度の断酒を試みていたものである。」と判示したが、被告人が判示のような素質を有することを自覚したとの事実を認めるに足る証拠はない。右は証拠によらずして事実を認定したもので、判決の理由にくいちがいがあるか、事実誤認の違法があると主張するのである。しかし、原判決挙示の証拠殊に原審証人小島鯉之助の証言によると「同証人は被告人の従弟であり、被告人方に同居している者であるが、被告人良はこれ迄からも深酒をすると気狂の様になり、家で一合や二合位飲むのは良いが外に出て沢山飲むと喧嘩をして帰つてくることもあり、家に帰つて当るものがないと妻に当つて乱暴をする。これを止めるのに私等も困るのである。良は酒を多く飲むと目が坐り気狂のようになり、私等も恐ろしいのでそう云う時には離れている。良は今年(昭和三十年)の春頃に生駒さんに酒断ちの願をかけたが胃が悪いのと酒癖が悪いからだと思う」といい、原審証人吉村シゲノの証言によると「同証人は被告人の妻であるが、主人は酒二合位までであると朗らかであるが、それ以上飲むと常々不平に思つていることをいい出して五月蠅いのである。主人は一度酒を断つたことがある。主人は生駒さんに酒断ちの額を上げたが、その動機は主人は酒を飲むと一寸したことにも私等に当り散らし、子供等も恐ろしがつて側に寄付かない。翌朝になり子供等が主人に父ちやんがああやつたこうやつたと云うと主人はそうやつたかなと申していたが、こう云うことが度々あつたので之が辛くて酒断ちをしたと思う。再び酒断ちするようになつた動機は、私の言つたことが気に障つたのか私を酷い目にあわせたからである。それはその一週間位前に主人が夜遅く帰つて来たので喧しく云つた。それを主人がおかしな所へ遊びに行つているのではないかと私が疑つたといつて怒つたのである。その時も主人は酒を二合以上飲んでいた。その揚句はその辺にある物を手当り次第なげつけたのである。煙草盆の灰皿を投付け硝子障子の硝子を破りさんを折り又私の頭の毛を引張つて倒し踏んだり蹴つたりし、そのため右の手首その他三四ヶ所に傷をした。斯様に酒による失敗を反省して酒断ちをしたものである」といい、これらの証拠の外に原審証人吉村清一、同山田明一の各証言及び鑑定人長山泰政並びに同岡本重一の各鑑定書中の鑑定問診の経過の記載等から推して、被告人が判示のような素質を十分に自覚していたことを認定するに足り、かく認定することは何等経験則に反するものではない。主観的事実に属するから自覚したとするためには被告人自ら認識したとの供述にまつ外はないとの所論は首肯し難い。原判決が証拠として挙示する被告人の前科調書や京都地方裁判所の確定判決謄本は、本件犯罪事実認定の資料としては不要と思われること所論のとおりである。しかし、証人吉村シゲノの証言と対照すると被告人は以前にも飲酒の勢をかりて殺人未遂を犯して処罰されたことが認められ、酒癖のわるいことが推察されるのであつて、これを捉えて判決と証拠との間にくいちがいがあるとはいえない。論旨は理由がない。

弁護人乙の控訴趣意第三点について、

論旨は、原判決は酒癖の悪いことを自覚する被告人が飲酒をしたこと及び刃物を携行したことが注意義務の違反であり、重過失に当るというのであるが、本件森本滋の死亡はそれ等とは無関係におこつたことである。仮に被告人に原判決の判示する過失があつたとしても、それは決して重過失というものではなく単純な過失犯であるといい、事実誤認、引いては法律の適用を誤つた違法があると主張するのである。しかし、証拠によるとすでに見たとおり、元来被告人はいわゆる酒癖が悪く、清酒三合以上を飲用するときは病的酩酊に陥りその心神喪失下において他人に暴行を加え、その生命、身体、財産等に危害を及ぼす危険ある素質を有し、みずからもその素質を自覚して再度の断酒を試みていたものであつて、このような習癖のあることを自覚するものは右の原因となる過度の飲酒を避け、或は適量以上飲用することを抑止制限し、又飲酒した際は刃物類等の殺傷器具を身辺から遠ざけ或いはそのような器具を携帯して人の往来する場所を徘徊することのないようにする等十分配慮し、もつて危害の発生を未然に防ぐべき注意義務があることは社会生活をする上において当然の条理である。然るに、被告人はこれを著しく怠り、原判示のとおり過分の飲酒をして外出し、子供に頼まれた鉛筆削りのナイフを買つたと弁解しているが、それにしては不相当な古刀拵への刃渡十二糎の匕首類似の刃物一挺を金千二百円にて買求めてこれを携帯し、更に飲酒し景品買入を婉曲に断られて憤慨の気持を抱いていた原判示のシカゴ遊技場経営者鍵村惣太郎方に赴き、談判しようとしたが、同人の妻鍵村静子から面会を断られ、面接し得なかつたがその頃から度重なる飲酒のため病的酩酊に陥り心神喪失状態の下で、約二時間後たまたま外出した鍵村惣太郎の姿を認め、同人に寄り添い京都市下京区木屋町四条下る斎藤町喫茶店バラ亭こと内田徳次方前道路まで同行し同所で鍵村惣太郎に危害を加えようとする態度を示したので、同人は身をひるがえして、バラ亭の店の中を通りぬけて逃げ去つたが、同所まで被告人に追随して来ていた被告人の配下の森本滋が鍵村をかばい、被告人の暴行を阻止しようとしたところ、被告人は森本滋に対し所携の刃物で原判示のような傷を負わせ、同人を死亡するに至らしめた事実を認めることができる。してみると、所論のように森本滋の死亡の直接原因は、同人が被告人の手から刃物をもぎ取らんとして、両者の間に掴み合い、引張り合いが行われたそのはずみで、被告人の力が余つたか、或いは被害者が刃物に身体を突きかけたか、何れかによる傷害の結果であるとしても、その違法な結果を発生させたのは被告人が心神喪失の状態下において刃物を持つたまま被害者と掴み合いをしたという被告人の挙動にあることにはちがいはない。そして、その心神喪失の状態は被告人自らの過失によつて招いたものであるから、被告人の過失と傷害の結果とは所論のように無干係なものではない。被告人の不注意による過度の飲酒、刃物携行と被害者との格闘傷害、死の結果の発生との間には外部的因果干係は存在する。本件は原因において自由な行為に過失を問い、被告人の過度の飲酒と刃物携行に責任非難を向けるのであるから、所論のように被告人の殺傷行為自体に故意ないしは過失を必要とするものではないのである。

そして、ここにいわゆる重大なる過失とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意の欠如の状態を指すものと解すべきものであるところ、さきに見たとおり、被告人は自分の酒癖の悪いことを自覚し神に願をかけ、酒断ちをしている位であるのに、些細な夫婦間の紛争から著しくその注意を怠り過度の飲酒をした上本件をひき起しているのであつて、重大な過失というべく、到底所論のように軽過失にすぎないとはいえないのである。記録を精査しても原判決には事実の誤認なく、法律適用の誤もない。論旨は理由がない。

(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 辻彦一)

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